一昨日、この言葉を口にした瞬間に下記のことが
気分としては文字通り解放されてとても清々しい。
絵にするとこんな感じ↓
一気に入って来たというか、理解した。(思い出した?)
入って来たという表現よりも「自分」という壁が瓦解して、
解放されたという方が正しい。
自分として、この解放感と喜びと理論を伝えたいので書きます。
訳わからんという人は、飛ばしてね。
「私は、私であるもの」
だから私は、全てであり、私は何でも出来るし実現している。
そして、私は何処にでもある。
あの人の中にも、その本でも、あの光でも全て私は、私であるもの。
私は、私であるもの
だから私は私だけと他と区別する概念すらない。
私は無限であり、誰でも何でもあるから
無限の光とエネルギーを引き出せる。
何故なら私は、私であるもの全て。
全てが繋がっていて、いつでもどこでもアクセス出来る。
というか既になっている。逆もまた然り。
すなわち全ては一つ。
一つだから逆とかの概念もない。
まさにONE。
かなり突然で、抽象的な表現ですが気分としては文字通り解放されてとても清々しい。
全身全霊が喜んでいる感覚です。
無敵。(文字通り敵はいない、全て一つだから)
無敵。(文字通り敵はいない、全て一つだから)
絵にするとこんな感じ↓
前段としてかつて「情熱の連鎖」ってのを思いついて
例えば
僕は西堀榮三郎さんを尊敬している。
西堀榮三郎さんはアインシュタインの弟子って感じで
私→西堀榮三郎→アインシュタイン→???
と辿っていくと情熱が繫がっていく。
ということは
○○←私←西堀榮三郎←アインシュタイン←???
私はアインシュタイン、西堀榮三郎と受け継いだ情熱(エネルギー)を頂いた者として、
その連鎖を断たずにまだ見ぬ次の○○に繋げなくてはいけない。
という考え方が
「情熱の連鎖」
今まではこの情熱の連鎖の直線が交わることなく、何本か自分で止まっているだけだったんですが、
その線が円になってその円は全て繋がっているでっかい一つの円だったということなんですよ。
文字通り、全て繋がっているということ。
突き詰めると、情熱の連鎖は繋げようとしなくても既に、そしてこれからも全て繋がっている。情熱の連鎖だけでなく、全てなんですが。
「私は、私であるもの」で全ては一つで繋がっていることを思い出しました。
全ての繋がりの温かさに感謝。
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